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第7章:まとめ

応用可能な事業領域

以上のように、日本の製造業が知識社会において競争力を発揮するには、電子ネットワークを活用したアウトソーシングによって世界レベルでの「生産性」と「イノベーション」が必要であり、その一つの手段として『フィードバック型国際分業』が有効な事業形態となることが理解できると思う。これまで述べてきた通り、この形態の特徴は、多少の言語制約であれば問題とせず、「世界の工場」としてのバックグラウンドを持つマレーシアの安価で優秀なスキルを持つ労力を使う点にある。そして、このような特徴を基本とすれば、その他の関連する仕事に適応することも可能となる。

一例を挙げるならば、製造業における「出荷検査データ」のデジタル化や管理がある。製造業においては、電子部品でも機械部品でも製品を出荷する際には、寸法や外観、特性などについての検査が実施され、その結果を記載した「検査表」を製品に同封し、カスタマーへ発送している。しかし、これら検査は物理的にネットワーク上で処理することが不可能であるため、検査データは一度手書きで指定フォームの書類に記入された後、パソコン等へ入力されている。例えば、電子部品の寸法測定を行う際、主に使用する測定機器はマイクロ・メーター、ノギス、ダイヤル・ゲージ、電子顕微鏡、X線膜厚測定器などが挙げられるが、一つ一つの機器はそれぞれが独立しており、測定をしながら直接パソコンへデータを入力することはできない。さらに、この業務を行っているは品質管理の人間であるが、彼等の業務の目的は出荷製品の品質を見極め、収集したデータの分析によって不具合の出ない「モノ作り」の環境を作ることである。そのため、彼等の労働が測定したデータのデジタル化や、大量のデータを整理することではないはずである。本来、品質管理とは、まず第一にカスタマーの要求を的確に把握し、これを科学的な品質規格、品質仕様として具体化し、次に、この品質の製品を最も経済的に作り上げて、市場に送りだし、カスタマーに満足して使用してもらう一連の業務を最も効率的に行うことを定義としている。

[表7-1 ISOにおける主な品質記録の保持期間]

そこで、今回のビジネスモデルを活用すれば、品質管理の人間が本来の仕事へ集中できる環境を提供すると同時に、品質管理の定義を実現することが可能となる。具体的には、寸法測定結果や外観検査結果、製品特性結果など手書きの検査データをマレーシアへFAXやeFAX、スキャナー等で転送し、現地でパソコンにデータを入力、後は日本でプリントアウトするだけといったプロセス構築ができる。また、マレーシアは工業化による発展という背景を有しているため、受け取った大量のデータを整理し、パレート図やヒストグラム、管理図といった統計手法を活用したデータ管理が可能となる(図7-1)。これにより、品質管理の人間は煩わしい業務へ無駄な時間を費やすことなく、本来の目的に集中することができる。そして、マレーシアで作成されたヒストグラムによって週単位、あるいは月単位で製品のバラツキを分析したり、パレート図のデータから何が問題であるのかを読み取ることにより、安定した製造体制構築へと反映させることができるであろう。また、カスタマーからのクレームに対し、データが全て時系列に整理されていれば、迅速な対応が可能となる。

更に、製造の現場でも各行程において工程管理のためのデータ取りが行われているが、その多くが目前の生産に追われてしまい、またパソコンを設置できる環境でないこともあり、その多くは手書きとなっている。各製造ロット単位での管理だけであれば問題ないが、一度でも不具合が発生した場合には、長期の流れの中で大量のデータの中から「経時変化」を読み取る必要がある。

だが、今回のビジネスモデルを使用すれば、測定された大量のデータが24時間後にはデジタル化され、同時に各製品毎のグラフとしてパソコン上に表示することによって、加工工程の変化を容易に読み取ることができ、生産管理能力の向上や歩留改善、不具合品発生の未然防止などに役立てることができる。

[図7-1 製造業における工程管理への応用]

 日本とマレーシアの関係

1992年10月14日、香港で開催された欧州・東アジア経済フォーラムでのできごとであった。当時は「ジャパン・バッシング」の最盛期で、欧米諸国では「日本不要論(ジャパン・パッシング)」までもが台頭していた。そのような背景の中、唯一人、日本を擁護するスピーチを行ったのが、マレーシアのマハティール首相であった。演説は、これまでの日本の功績を称えるもので、『もし日本なかりせば』の発言に終始しており、欧米人にとっては耳の痛い内容であった。以下は、その抜粋となっている。

「日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高いエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。質を落とすことなく、コストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果をつくり出したのだ。
日本の存在しない世界を想像してみたらよい。もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。欧米が、基準と価格を決め、欧米だけにしかつくれない製品を買うために、世界中の国はその価格を押し付けられていただろう。
自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。社会主義と平等主義の考えに基づいて労働組合が妥当と考える賃金を、いくらでも支払うだろう。ヨーロッパ人は労組側の要求を全て認め、その結果、経営側の妥当な要求は無視される。仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。
貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので、最低水準に固定される。その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。通商条約は常に南側諸国に不利になっているため、独立性は一層損なわれていく。さらに厳しい融資条件を課せられて、"債務奴隷"の状態に陥る。
北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、恐らく現在の3倍にもなるため、貧しい南側諸国ではテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。一般的に、南側諸国はいまより相当低い生活水準を強いられることになるだろう。南側の幾つかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。多国籍企業が安い労力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争をせざるをえなかったにほかならない。日本との競争がなければ、開発途上諸国への投資はなかった。日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。
また、日本と日本のサクセス・ストーリーはがなければ、東アジア諸国は模範にすべきものがなかっただろう。ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じつづけただろう。東アジアでは高度な産業は無理だった。せいぜい質の劣る模造品を作るのが関の山だった。したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち経済成長を遂げたアジアの新興工業経済地域も存在しなかっただろう。東アジア諸国でも、立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感に苛まれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない」

また、アジア通貨危機後においても、「心理的な面で言えば、植民地時代の支配者と同じレベルを、技術や学問の分野でも達成できるのだという自信を、日本は我々に与えてくれた。国のために一生懸命に働こうとする決意と意志さえあれば、文字通り、廃墟からでも、奇跡的な復興が可能なことを、日本人は我々に実証してくれた。日本はまた、たとえアジアの国であっても、西欧の製品と同等の、もしくはそれ以上良質の製品を生産できる能力があることも証明してくたのであった。したがって、戦後日本が呈示した手本は、経済的な意味だけでなく、象徴としても、また心理的にも大きな重要性があったのである」とマハティール首相は世界に訴えている。

そして「バブル経済」崩壊以降も、マレーシアは日本に目を向け続け、「日本はいくつかの分野で失敗しているが、その失敗でさえ、我々にとっては教訓となる。日本から学ぶべきことはまだ沢山あるし、21世紀になっても、日本はアジアのエコノミック・リーダーであり続けると私は信じている。日本人の卓越した技術・テクノロジーと勤労倫理は、まだ見習う価値が十分に残っている。それは、経済不振長期化の様相を呈する今も、決して失われない」と日本を擁護する発言をしている。

しかし、残念ながら日本政府はこのような発言に対して、これまで何一つとして反応を示してこなかったし、日本国内でもニュースとして報道されることはなかった。それでも、マハティール首相の言動の根底には首尾一貫した哲学があり、1981年の就任以来、日本に対する尊敬と感謝の念を失ったことはなかった。そして、それは口約束にとどまらず、自らの言動に責任を持ち、実行に移してきた実績がある。

例えば、首相就任当時、マハティール首相は貧困の克服を国民に約束し、一人当たりのGDPの向上とともに、アディクワット・ハウジング政策(住宅政策)を推進すると宣言した。日本の住宅事情に直して言えば、家族4人なら3~4LDKレベルの、どこの国に出しても恥ずかしくない住宅を標準とし、それを廉価で大量に供給していったものである。当初、人口の50%以上がニッパ椰子の葉で屋根を葺いた粗末な小屋で暮らしていたが、年々貧困が減少し、2000年度にはあと6万世帯というところまできている。

これまで、マレーシアは劇的な戦後復興を遂げた日本を見本とし、『ルック・イースト政策』を採用することによって経済発展を遂げてきた。それに呼応するかのように、多くの日本の製造業がマレーシアへ現地法人を設立し、経済的、或いは人的支援を行ってきた。そして、マレーシアは日本人の勤労倫理とそれに関連した文化的要素に大きな影響を受けてきた。勤労倫理には、品質向上と製品の納期の厳守を徹底しようという姿勢も含まれており、それが労働スキルの高さとなって現れている。その結果、今日では、マレーシア経済のGDPの23%を日本企業が産出するまでに至っている。つまり、マレーシアは日本の製造業の影響を大きく受けている国であり、両国は工業化において、相互補完の関係にあると言える。そして、そこで養われた関係や成果は知識労働の分野へスムーズにシフトすることを可能としており、知識社会の時代において、両国がさらに良好な関係を築くことができるであろう。

今回提起している『フィードバック型国際分業』は、上述のようにこれまで両国が築いてきた土台の上に成立させることを礎にしている。それは、製造業における専門スキルであったり、ビジネス・モラルであったり、日本的経営に対する理解であり、工業化の時代にすでに習得されたものである。そして、MSCは知識社会における両国の協働を実現するための理想的な環境であり、世界に対して競争力を有した関係構築が可能だと信じている。

 

 

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