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はじめに

1980年代は成熟した技術を徐々に前進させていく時代であり、その点において、日本は他のどの国よりも卓越性を有していた。DRAM(Dynamic Random Access Memory)や自動車、家電製品等の生産において、欠陥を少なくすることが常に問われ、日本で誕生した品質管理システムは時代のニーズに合致していたと言える。そして、1990年代は技術の革命的な変化の時代であった。電子、バイオ技術、新素材、電気通信、コンピューター、ロボットが互いに影響し合い、個人、企業、社会の富みを生み出す方法が根本的に変化した。そして、現在は人間主体の頭脳産業の時代、つまり知識集約型社会の創成期と呼ばれ、個々の知識を最大化するための組織の在り方が問われている。特に、情報通信技術の目覚しい発達は、農業や工業、サービス業などあらゆる産業へ影響を及ぼし、まさに転換期の様相を呈している。だが、日本の経済・社会は、新しく生じてきたこのニーズに応える体制にはまだなっていない。

例えば、大企業や大官庁をはじめとする日本の大規模組織の組織構造は、主として19世紀のモデル、すなわち階層的なトップダウンによる指揮命令型の組織構造を範とすることによって成功してきた。しかし、知識社会における組織では、これと全く異なる組織構造と組織原理が要求されている。米クレアモント大学大学院教授のP.F.ドラッカー氏は、知識社会の組織について「今日の大規模組織の原型たる19世紀の軍隊よりも、シンフォニー・オーケストラに似たものとなる。さらには、指揮者すらいない小編成のジャズ・バンドに似たものとなる」と述べ、日本の伝統的な組織構造の限界を指摘している。

そして、知識社会における基本的な経営資源(経済学で言う「生産手段」)は、もはや「資本」でも「天然資源(土地)」でも「労働」でもなく、それは知識とされている。つまり、富みの創出の中心が古典派経済学、マルクス経済学、ケインズ経済学、新古典派経済学など19世紀と20世紀の経済学における2つの柱、すなわち「資本」および「労働」の生産的使用への配賦ではなくなり、今や知識の仕事への適用たる「生産性」と「イノベーション(創造性)」によって価値が創出されようとしている。経済政策出発点として唯一有効なのは、経済発展における「イノベーション」を重要な要素と捉え、「企業家精神こそが経済の本質」であるとしたシュンペーターの経済モデルであろう。

また、知識社会における「生産性」について米マサチューセッツ工科大学(MIT)教授のレスター・C・サロー氏は、著書『Building WEALTH』において「(知識主義経済下では)長期的には生産性が上昇しないかぎり、市場性は増加しない。生産性を上げるとは、富のピラミッドを支える石を動員して、寿命とエネルギーに限りある人間が生産量をたえず増やすことだ。新しいやり方によって、新しいスキルを持つ人々を組織化し、新しい技術を導入して、新しいエネルギーを燃料とする新しい設備を使い、新製品を生み出す。生産性が高まれば、少ない投入量で産出量を増やすことができる」とし、「生産性こそが富みのピラミッドの中で見つかる本当の財宝である。生産性が伸びていないのであれば、ピラミッドの外観がいかに立派でも、見せ掛けに過ぎない」と述べ、知識社会における「生産性」の重要性を示している。

そして、電子ネットワーク技術は企業における「生産性」と「イノベーション」をドラスティックに飛躍させるための重要なファクターとなっている。とはいえ、元来「ネットワーク」というものは、ビジネスの場で人と会い、話をし、チームの中で情報を共有し、意見を交換しあい、判断するというプロセスであり、今日の情報技術の革新はそのプロセスを電子化するという話でしかない。ただ、電子ネットワークは知識を集結し、時間的、空間的、さらにはコスト面での限界を大きく広げることを可能としている。分からない問題はネットワーク上で問いかけることによって衆知を結集でき、欲する労力があれば世界の何処からでも容易に採り入れることができる。そして組織全体の生産性は格段に向上し、無駄なコストが省かれ、プロフィットの質が向上し、国際市場での競争優位性へと繋がっていくことになる。

そこで、日本における民間企業の情報化の状況を見ると、図aに示す通り、情報化への投資額はほぼ右肩上がりの成長となっている。そして2000年度には、全設備投資のうち4分の一を情報化投資が占めるにまで至り、産業界に及ぼした波及効果は38兆6,000億円に達しており、約149万人の雇用を創出している。
だが、過去10年間の日本における情報化投資の伸び率は、米国の3分の一に過ぎないという数字も算出されており、さらに、最新の情報機器を導入しているにもかかわらず、企業のイントラネット構築状況が示す数字はあまりに悲観的となっている。総務省が2000年度に調査した数字では、半数以上の企業でイントラネットが構築されていない(図b)。つまり、日本企業の情報化は、社内完結型の業務効率が主体的な目的となってしまい、知識社会における「生産性」と「イノベーション」が期待できない性格のものとなっている。そのため、確かにハード面では日本企業も他のIT先進国並、あるいはそれ以上に高度な情報通信機器が導入されているが、その活用方法は従来の組織構造の視点から捉えられてしまっており、『知識社会』に対応できないでいることを示している。結果、日本は国際市場からIT後進国と呼ばれ、情報通信技術から享受できるメリットを最大化できておらず、産業全体にダイナミズムが生れていないと感じざるを得ない。

[図a 日本企業の情報化投資額推移]

Information resource:総務省「ITの経済分析に関する調査2002」

 

[図b 企業のイントラネット構築状況]

Information resource:総務省「通信利用動向調査(企業扁)2001」

このような背景を基本とし、これまで私が『モノ作り』の技術者として製品開発・設計業務に携わり、また海外での製品開発・製造に関与した経験から、ここでは知識社会に対応し、且つ日本企業が国際市場で競争力を発揮するために将来求められるであろう事業アイデアの基本コンセプトを示している。

そこで、今回ターゲットとしているのが、『日本の製造企業がストックしている「手書き図面」のトレーシング業務を、電子ネットワーク技術によって優秀なスキルを有する海外の安価な労力で実現するアウトソーシング事業』である。そして、この基本コンセプトの中心的な論点は、日本の製造業が知識社会の構造に合致するよう、「仕事の仕組み」を変えることにある。

周知の通り、日本の製造業における技術、品質管理水準は世界トップレベルにあり、これは日本企業が工業化の時代に行うべきことを優れた規律と一貫性と卓越性のもとに行った結果であると言える。しかし、知識社会における国際競争の中では、これまでの日本的経営による「仕事の仕組み」が有効ではなくなりつつある。つまり、日本的経営が本来持っている長所は工業化の時代に重要な問題を解決するのに必要な資質と一致しており、本来持つ欠点がその時代において無関係か、或いはあまり重要ではなかったのだが、電子ネットワークから広がる知識社会の下では、その関係が劇的に逆転してしまった。

社内会議を例に挙げれば、電子ネットワーク導入以前であれば、担当者は会議のための準備資料作りに多大な時間を割き、会議の場でも冒頭から延々と状況報告が行われ、何時間もかけて内容把握、意見交換がなされてきた。これまでであれば、このような欠点は企業の競争力においてあまり重要な問題とはされなかった。しかし、電子ネットワークの下では、会議の出席者が事前に状況を知り、情報を共有した上で会議の場において意見を交換するといった「仕事の仕組み」を作ることができるようになり、企業の競争力に影響を与えるようになった。また、上層部によるプロジェクトの進捗状況把握作業に関しても、これまでであれば、まず現場の社員が業務日報を書き、上司がそれをまとめ、週に何回、月に何回、それぞれ数時間の席上で上層部がはじめて状況を知るというプロセスを踏んでいたため、電子ネットワーク以前の「仕事の仕組み」では、多くの時間とコストが費やされてきた。しかし、電子ネットワーク環境が整った今では、海外であろうが誰もがプロジェクトの進捗状況をリアルタイムに把握することができ、そこから生み出される効果が企業の競争力を左右する要素になっている。以上のように、これまでの日本的経営の「仕事の仕組み」において重要でなかった短所が、知識社会の時代では、重要な問題解決に必要な資質となって台頭している。

しかし、これは情報通信技術導入による効果が、主に『時間』と『コスト』の効率改善に波及する初期段階の変化であり、知識社会における本質である知識労働の『生産性向上』と『イノベーションの喚起』へ与える影響はまだ小さい。また、このレベルの「仕事の仕組み」であれば、社内LANを構築するだけで十分に実施可能な領域であり、実際に日本でも大企業レベルでは旧来の枠組みの中で対応することができている。ただ、IT先進国と呼ばれる国々の企業では、さらに一歩先に目を向け、「仕事の仕組み」の変化が労働の質をも同時に向上させ、知識労働の『生産性の向上』と『イノベーションの喚起』を引き起こしている。例えば技術者の場合、IT先進国では電子ネットワーク導入後のドラスティックともいえる「仕事の仕組み」の再構築によって、技術者が製品開発だけに集中することを可能とし、知識労働の生産性を向上させ、イノベーションを喚起することによって、知識社会下での国際競争優位性を確立している(図cにおけるPHASE3)。

対して日本のケースでは、技術者が製品開発と同時に、資料整理や情報収集、データ整理、煩雑なペーパーワークなどの業務にも追われてしまい、無駄な時間を費やしていることが多く、電子ネットワークから享受できるメリットは業務効率の向上とコスト削減にとどまってしまっている(図cにおけるPHASE2)。

[図c 知識社会における電子ネットワークの波及効果]

工業化の時代、フレデリック・W・テイラーは『科学的管理法』の中で、物を作ったり運んだりする仕事の多くは、「機械」のペースで行われ、人間が機械に仕えるとしていた。だが、知識労働の仕事のほとんどにおいては、機械の方が仕事をする人間に仕えるという構図になっている。そして何よりテイラーの考えにおいては、「この仕事から期待すべきものは何か」という問いは発せられなかったが、知識労働者を生産的な存在とするためには、この問いを発することが不可欠となる。そして、知識労働では、生産性の向上や成果に貢献しない雑事はすべて意識的に排除していくこと、つまり『仕事への集中』が富みを生み出す鍵となっている。

このようなロジックから、欧米諸国では、生産性の向上に貢献しない仕事は全てアウトソーサーに任せてしまい、技術者はいかにして市場のニーズに合った素晴らしい製品を開発するかとった本来の仕事に集中できるようにしている。その結果、企業レベルでも中核業務へリソースを集中することが可能となり、国際競争力を高めるに至っている。さらに、彼等がIT先進国として優れているのは、電子ネットワークから享受できるメリットを最大化するために、業務の流れや手法などを「ゼロベース」から再構築し、中核でない業務のアウトソーサーとして、海外の労力を活用する国際分業の手法を採用している点にある。それは弁護士のようなビジネスにおいても引き起こされており、例えば、ニューヨークで日中にラフな状態で書類をシンガポールのアウトソーサーに送付していれば、翌朝には清書された書類がデスクの上に揃っているといったことになっている。これにより、ニューヨークの弁護士は業務効率とコスト削減だけでなく、両国間の時差を利用した生産性の向上という付加価値も享受できている。具体的には、ニューヨークの弁護士は、優秀なスキルを有した労力を、自国の数分の一というコストで得られ、仕事は24時間絶え間なく続けることが可能となっている。そして何より、弁護士本人が質の高い仕事だけに集中できることにより、イノベーションを喚起する機会に恵まれるといった利点が生れている。このような「仕事の仕組み」によって得られる付加価値が、日本の弁護士の比でないことは容易に想像できるであろう。また、アウトソーサーとしてのシンガポールも、電子ネットワークと自国の優秀なスキルを基盤として、米国など英語圏先進諸国の在宅勤務者や中堅・中小企業から、マンパワーを必要とする知識労働の下請け的な仕事を積極的に受け入れ、国家そのものがリープ・フロッグ(蛙飛び)的な経済発展を達成することを目指している。

今回ターゲットとしている『図面のトレーシングのITアウトソーシング』は、このような世界のドラスティックな変化と、日本の閉鎖的な製造業の実情を精査した結果、辿りついたものである。例えば、日本の製造業では、ISO9000シリーズの導入によって国際市場の中で信頼を得ようとの努力が見えるものの、その反面、多くの技術者が書類や資料整理・デジタル化、図面のデジタル化などの雑務に多大なる時間を費やさねばならず、スキルの高い本来の仕事に集中できなくなっている。だが、技術者が手書き図面のデジタル化作業のような仕事に時間を費やさねばならないのであれば、それは意識的に排除すべき性質のものである。しかし、日本は単民族国家であり、日本語という特殊な言語を基本としているなどの制約があるため、欧米諸国と同じ発想の「仕事の仕組み」を適用することはできない。そこで本書では、そのような制約において、どのようにすれば米国のような付加価値性の享受に近づけることができ、且つ知識社会下における国際競争力を発揮できるかについて論じている。まず第1章では、知識社会における『経営環境の変化』とITアウトソーシングの関係について、第2章では『現状把握』として、日本におけるアウトソーシングの活用実態と図面トレーシングの業態について述べている。そして、第3章以降では、私が提起するビジネスモデルのコンセプトについての解説となっている。

 

 

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