HONE >> BIZ IDEA >> マクロ的観点からのアジア諸国におけるIT集積地の比較分析


アジアにおけるIT集積地

経済学では、産業集積が発生するのは『集積の利益』があるためと言われている。つまり、「特定分野における関連企業、専門性の高い供給業者、サービス提供者、関連業界に関する企業、関連機関(大学、規格認定団体、業界団体)などが集まることで起業のコストが低くなり、また、フェイス・トゥー・フェイスレベルのコミュニケーションが技術や情報の伝播を容易にすることで、地域全体のポテンシャルを引き上げる」というものである。シリコンバレーには、ソフトウェア、コンピュータ、航空宇宙・国防、半導体、通信、バイオが集積しているが、これはベンチャーキャピタルが資金、情報、ノウハウの伝達媒体になり、『集積の利益』を積極的に引き出したことが大きく寄与したと言える。アジアのIT集積地についても、集積の利益を引き出す核やきっかけがあり、それが好循環を作っている。

従来、途上国の経済開発は資本と技術の不足のために、労働集約的な軽工業から資本集約的な重工業へと段階的に展開するのが現実的と考えられてきた。特に韓国や台湾などNIEsの成功とそれに続くASEAN諸国、中国の台頭はそうした発展パターンと理解できる。しかし、近年そうした段階的アプローチとは別に、一足飛びに先端分野を手掛ける蛙飛び(Leap Frog)的なアプローチがIT産業、特にソフトウェアと情報通信サービス分野において見られるようになり、現在、下図の地域の成長が世界から注目されている。

[アジアにおける主要なIT集積地]

 

インド

IT集積地

インドでは、一般にバンガロールとハイデラバード、プネーが『サイバーシティー』と呼ばれ、同国のIT産業を牽引している。もともと、これらの都市は軍需産業の拠点であり、国境を接する中印紛争、印パ紛争に備え、陸・海・空軍の優秀な研究者を集め、核やミサイル、そして航空機などの研究に従事させていた。しかし、ソ連崩壊に伴う冷戦の終結によってそれら人材が余剰となり、民間のハイテク産業の仕事にシフトするようになっていった。それが『サイバーシティー』の土台となり、そこへ全国6ヶ所にある理工系の超エリート大学・IIT(Indian Institute of Technology = インド工科大学)の卒業生などが集まり、ハイテク産業を発展させるに至った。

インドの注目都市の一つバンガロールは、①標高が高く気候がよいこと、②軍事都市であり、軍民転換ができる技術シーズがあったこと、③インド独立前からの大学都市であったことなどの基盤の上に米国の大手半導体メーカーの進出が重なり、ソフトウェア産業の集積を導いた。
もう一つの注目都市ハイデラバードにソフトウェア産業が集積したのは、①バンガロールと同様に標高が高く比較的気候がよいこともあるが、②ナイドゥAP州首相が改革の一環としてITに注目したこと、③印僑の最大の出身地であり、彼等のインド回帰が後押ししたことが挙げられる。
そして、ソフトウェア会社を始めとするインドのハイテク企業群は欧米企業からファシリティーズ・マネジメントやソフトウェアのアウトーシング、あるいはコールセンターなどの業務を請け負い、米国や欧州の先端企業のバックルームの役割を果たし、IT集積地としての注目を更に高める結果となった。

IT産業

インドは一人当たりのGDPが455ドル、1日1ドルという貧困ライン以下の生活を強いられている国民が約3億人(全人口の約30%)もいる貧しい国である。しかし、その一方で1990年代半ばから欧米諸国向けを中心としたソフトウェア産業が急成長しており、米国やアイルランドと並ぶ世界有数のソフトウェアの開発拠点となっている側面も持っている。

インドのソフトウェア開発は、海外取引先からの開発案件をデータ通信のやり取りによって完結させ、エンジニアがインド国内にいながら行う「オフショア・サービス」と呼ばれるものである。企業にとっては人材派遣のためのコストが削減できる上、言葉や食生活、文化の違いによるエンジニアのフラストレーション等に悩まされることがないメリットを有している。ソフトウェア技術の質については、国内企業上位300社のうち170社以上が高技術水準と品質の高さを示すISO9000を既に取得している。また、米国ソフトウェア認定の最高水準に位置付けられるSEIレベル5を取得している世界的企業23社のうち15社がインドのソフトウェア企業であることから、その技術の質が高いことがうかがえる。その結果、米誌「フォーチュン」が発表した世界の大企業上位500社のうち、200社あまりがインド製ソフトウェアを導入しているとされている。

インドにおけるIT産業の発展を数字で見ると、2000年度のソフトウェアの総生産額は82.6億ドルに達しており、前年度の57億ドルから5割近く増加、GDPに占めるソフトウェア産業の比率も1.9%となっている。また、売上高の約4分の3に当たる62億ドルが輸出向けであり、それは米国に次いで世界第2位の規模である。ソフトウェア輸出の伸びは前年比55.0%増で売上高全体の伸びである同45.0%を上回っている。インドの輸出に占めるソフトウェア輸出の比率も、1995年度には2.4%に過ぎなかったが2000年度には14%に達し、輸出の中でも重要な位置を占めている。さらに、2008年にはソフトウェア輸出が輸出全体の35%に達するという予測もある。

輸出仕向け地別では6割が米国向け、2割が欧州向けで、日本はわずか4%に過ぎない。米国向けがこれほど多いのは、多数の米国企業がインド企業にソフトウェア開発を委託しているからであり、2000年度にはマイクロソフト社が新基本ソフト(OS)の開発をハイデラバード市の同社開発センターへ5000万ドルを投じるなど話題となった。これを受け、サンマイクロシステムズやGEなども積極的な展開を行っている。

[インドのソフトウェア売上高推移]

[インドのソフトウェア輸出先比率(2000年度)]

これほどまでにインドのソフトウェア産業が急成長した要因としては、

① 英語を駆使できるソフトウェア技術者が豊富(2000年時点では35万人、2008年には220万人に増加すると予想されている)

② 技術者の質が高いわりには賃金が低く(米国の10分の1から20分の1程度)、国際競争力を有している

③ 政府の積極的な育成策を受け、アメリカを中心に有力企業が参入

④ 1991年に人工衛星による通信サービスが始まった

⑤ 米国に50万人在住するといわれる印僑の技術者のインド回帰が起こりつつある

などが挙げられる。また、シリコンバレーでは、エンジニアのうち3分の1がインド出身であると言われ、インテルやマイクロソフトでもインド人技術者が続々と幹部に昇格していることも重要な要因である。

人的資源

インドにおける質の高いソフトウェア産業を支える技術者の規模をみると、NASSCOMの調査によれば1996年時点で16万人、1999年には28万人、2000年では35万人であった。1985年の調査では6,800人であったことを考えると、この15年間で約42倍にまで増加している。また、 NASSCOMと米国の経営コンサルタント会社マッキンゼーの共同調査によれば、2008年までに220万人の技術者が必要になると予測されている。これらの技術者を供給するコンピュータ関連のコースを持つ教育機関は、インド工科大学(IIT)から職業訓練校(ITI)まで約1,900校あり、これらの教育機関から毎年供給される新規の技術者は1998年度で約7万4千人に達したと言われている。しかし、インドにおけるソフトウェア技術者数は欧米企業の需要を支えるに十分な数が供給できていない現実もある。さらに、ソフトウェア技術者が不足している中で、技術者の年間離職率は1993年で21.2%、 1994年には18.1%、1995年では16.3%と徐々に低下しているが、その割合は依然として高く、このような技術者不足が賃金の上昇を招いている。インドの主要国内紙であるエコノミック・タイムズ紙の1999年IT産業30社の調査によると、人件費は過去4年間に42%上昇しているという結果も出ている。また、欧米やシンガポールの高給採用による技術者流出増大が懸案事項となっており、今後、インドのソフトウェアの品質を維持するうえで問題となる可能性を内包している。

[インドのソフトウェア技術者推移]

[インドにおける技術者の離職率]

インフラ整備

まずインドにおける情報通信インフラについては、世界有数のソフトウェア開発国であり、この分野で世界をリードしているにもかかわらず、インフラ整備状況は発展途上国のレベルにある。本来、情報通信インフラ整備を進める上で重要なことは、政府が民間企業の活力が生かせるような環境を整備することであるが、長年貧困に苦しむインドにおける独立当初からの最大の課題は食糧問題の解消であったため、国内開発における情報通信インフラ整備の優先順位は低かった。そのため、インドが経済の自由化を開始した1991年にようやくその重要性が認識され、1994年からインド政府が通信の規制緩和および情報化推進に着手した。しかし、同年に策定された新通信政策では、外資の上限を49%として携帯電話市場における民間企業の参入を許可するだけで、固定電話市場は規制緩和の対象外であった。さらにライセンス料が高く設定されたことに加えて、サービス収入が予測より少なかったことから、免許を取得した民間企業(外資との合弁を含む)がサービスを開始しないという状況が起きるなど多くの問題が発生してしまい、インフラ整備が遅れる結果となった。このような状況のため、「IT人材の調達し易さ」は世界一であるが、インフラの整備状況を示した『ISI:情報社会指数』では55ヶ国中54位と中国やインドネシアより下に位置するといった奇妙な現象が発生している。国内の通信インフラが貧弱なため、一般にインドのソフトウェア会社は人工衛星を使って専用回線でデータをシンガポールに飛ばし、シンガポールから世界にリンクを張るといったものへ依存する他に選択肢がなく、衛星回線がインドのソフトウェア産業の生命線となっている。また、電力供給が不安定であり、空港や港、道路など物流に関するインフラが整備されていないなど、工業化とIT産業の発展にとって不可欠である要素もかなり遅れている。特に、電力供給の問題はハイテク産業にとって致命的であるといえる。

政府対応

インド政府は1998年6月、ITを柱とする経済・産業のアクションプランを発表し、2008年までに国民のアクセシビリティ向上や電子政府の実現等を目指すほか、先のソフトウェア輸出額に関しても、2008年までに500億ドル達成という具体的数値を目標として掲げている。また、国内各地には情報技術省傘下のソフトウェアパークが19カ所に設置され、ソフト開発および輸出促進のための各種インセンティブを提供している。こうした政府主導による産業振興はもちろん、外資系企業が優秀な地元人材の確保を視野にデータセンターやIT関連の研究所を設立する動きも相次いでいる。大学レベルでも、マサチューセッツ工科大学がメディアラボ(アジア校)の開設を検討するなど、依然としてインドを高く評価する向きに変わりはない。さらに、インド第10次5ヵ年計画(2002~2006年度)の方針書では、通信事業においてインターネットサービス、ページングサービス等に外資を74%まで可能とする規制緩和が打ち出されている(但し、49%以上は事前認可が必要)。

課題

インドはソフトウェア開発のような高度な部分では依然として人的資源においてアドバンテージを有しており、高い注目を浴びている。だが、インド国内の状況はそれほど楽観視できるものではなく、以下のような課題も有している。

競争優位性

インドは中間所得者の割合が低いため、ITに関して国全体としての競争力はかなり低位に位置する。だが、全体から見た比率は小さくとも、優秀なソフトウェア技術がインドに存在することに疑いの余地はなく、彼等のスキルが世界のIT産業の発展に大きく寄与し、牽引役を果たしていると言える。特にY2K問題の時には、欧米やシンガポールなどの先進諸国から大量の受注を受け、インド人技術者の優秀さと品質の高さを世界に示した。確かにインフラの遅れや政府対応のまずさなどの問題もあるが、優秀な人材と印僑のネットワークがそれを補い、ソフトウェア開発では競争優位性として働いていおり、その地位は不動のものとなっている。

 

マレーシア

IT集積地としてのMSC(マルチメディア・スーパー・コリドー)

マレーシアにおけるIT集積地の中心は、首都クアラルンプールに隣接する東西15km、南北50kmの広大な敷地に構築されたハイテク都市、MSC(マルチメディア・スーパー・コリドー)である。MSC構想は1996年8月、マレーシアの長期発展計画『Vision2020』の柱として始動、新首都プトラジャヤ(電子政府)と電脳都市サイバージャヤを心臓部とし、マハティール首相の強力なリーダーシップによって実現した。MSCは2.5~10Gbpsという大容量のディジタル光ファイバーバックボーンを有しており、多国籍企業の誘致と地元ベンチャー企業の育成を狙いとしている。創造的マルチメディア育成とハイテク立国のための情報通信回廊を国家主導で実現しようと言うもので、いわば人工的なシリコンバレーとハリウッドの融合を目指している。コリドーの北端には最新鋭のインテリジェントビルであるペトロナス・ツインタワーがそびえ、南端には世界最大級のクアラルンプール国際空港が位置している。

マレーシアがこのような政策に国家として精力的に取り組んでいるのは、マレーシアの経済発展がNIEsの1歩手前まで進む中で、工業化による経済発展が徐々に困難となり、ポスト工業化を見据える必要が高まったためといえる。1980年代以降、マレーシアは電子・電気産業を中心に積極的に多国籍企業を誘致し、加工・組立の拠点となることで輸出主導型経済成長を遂げてきたが、国内の部品・中間財産業が未成熟なため、主要な資本財はほとんど輸入に頼ることになり、恒常的に貿易収支の赤字に悩まされることになった。ただ、タイやインドネシアなどの近隣諸国とは異なり、マレーシアは徹底したハイテク重視策を続けることにより、域内での優位性を確保していた。とはいえ、近年は多国籍企業が生産拠点を中国へシフトしつつあり、ハイテク製品についても将来の不安が予想されている。事実、米デル社はペナン島の生産機能を一部中国・厦門へ移管し、二極体制を取ることを2001年5月に発表した。同じくインテル社も中国への一部移管、それに伴うマレーシア国内での人員削減の可能性を否定していない。

『Vision2020』において、マレーシアは経済・政治・宗教・精神・文化の面で先進工業国になることを目指しているが、低廉な労働力と巨大なマーケットを有する中国の急速な躍進は、マレーシアの従来の産業構造にとってネガティブなインパクトを持っている。マレーシア政府としては『Vision2020』達成のために、マレーシアの産業構造を現在の製造業中心の労働集約産業から、サービス業や知識集約産業中心の形態へ転換させていく必要があると認識しており、その第一段階としてMSC構想が強力に推し進められている。

MSCの開発を促進するにあたり、マレーシア政府は2000年までに7種類のマルチメディアアプリケーション開発(電子政府、遠隔医療、遠隔教育、多目的カード、研究開発拠点、国際的遠隔製造網、ボーダーレス・マーケティング・センター)を目標に置いてきた。また、MSCでは以下のような優遇策を強力にアピールすることにより、国内外からの関連企業の集積を図っている。

MSCの開発を促進するにあたり、マレーシア政府は2000年までに7種類のマルチメディアアプリケーション開発(電子政府、遠隔医療、遠隔教育、多目的カード、研究開発拠点、国際的遠隔製造網、ボーダーレス・マーケティング・センター)を目標に置いてきた。また、MSCでは以下のような優遇策を強力にアピールすることにより、国内外からの関連企業の集積を図っている。

なかでも雇用義務や特殊比率規制の廃止には、従来のブミプトラ政策(マレー人優遇策)をMSCでは実質的に放棄した事を意味している。もっとも、マレー人優遇策を適用すれば欧米企業の参加は見込めず、現実的にもMSCを動かせるマレー系の人材も育っていない事から、やむをえない選択という面もある。ただ、アジアにおいてこれ程までにIT産業に対して明確なスタンスを明示している国はなく、世界に開かれた自由でマルチメディア・フレンドリーな地域としてリープ・フロッグする可能性を有している。

このような政府の積極的な働きかけにより、MSCステータスを獲得した企業数は順調に増加、現在では2003年までの政府目標である500社を優に越えている。

人的資源

MSCとマレーシアにとって最大の課題は、壮大なプロジェクトを遂行する人材をどのように育成するかという点である。欧米企業はこの点に疑問を呈し、積極的な進出を見合わせているケースも多い。しかし、マレーシア政府のIT人材育成にかける意気込みは凄まじく、知識集約型労働者(Knowledge Worker)の比率は1996年の11%から1999年には17.3%に上昇している。さらに、高等教育(大学、高専)への進学率も13%から 19.7%に急増している。

そして1996年秋、政府からハイテク人材供給要請を受けたマレーシア・テレコムがマレーシア初の私立大学であるテレコム大学の発足を決定した。同大学は、エンジニアリング、IT、メディア制作に重点を置く新しいタイプの大学として、1996年にマラッカに開校、Engineering、 Business and Law、Information Science and Technology、Centre for Foundation Studies and Extension Educationの学部を有している。私立大学であるため、マレー人優先となる民族別の入学割り当て枠は適用されず、優秀なKnowledge Workeを短期間、且つ大量に育成することが主眼とされている。

また、政府は1997年3月にマルチメディア大学の設立を電脳都市の目玉とすることを決定した。設立母体はテレコム大学で1999年6月9日に開校、 Creative Multimedia、Engineering、Management and Information Technologyの学部を有している。2000年9月には、MSC構想に協力的なビルゲイツ氏が、マイクロソフトが同大学の人材育成に協力する旨の覚え書きに調印し、セミナーや資金提供、コンテストの開催などの実施を約束している。

ただ、2001年3月にはマッキンゼー社の報告書がメディアにリークされ、高度な専門知識を備えたKnowledge Workeが絶対的に足りないとの指摘が明らかにされており、人的資源の拡充にはまだ時間を有することを露呈している。

インフラ整備

情報通信インフラについては、MSC内には大容量の光ファイバーネットワークが張り巡らされており、高度なIT事業にも対応できるパフォーマンスを提供している。その他の都市でも、専用線やxDSL、電話回線、無線などが利用でき、IT関連のビジネスを行う上ではそれほど問題はない。インターネット普及率は2001年度の統計では23.95%に達しており、周辺諸国と比較して高い数字となっている。世間一般のIT環境整備状況は、先進国と発展途上国のちょうど中間に位置しており、シンガポールを追随できるポジションに位置している。また、マレーシアは工業化によって輸出主導型経済成長を実現してきただけに、空港や港などはアジアにおけるハブ機能を提供できる規模のものが整備されており、電力供給も安定している。

政府対応

マレーシアでは、MSCインフラの整備やサイバー法の制定、大学の設立による知識労働者の供給などが政府主導で行われてきた。さらに、マレーシア政府はK エコノミー(知識集約型経済)と呼ばれる経済政策を策定し、これまでの労働集約産業から知識集約産業への転換を図り、国全体のスキル向上に努めている。

また、政府はMSCと類似するコンセプトのITハブを国内数箇所に設ける考えで、第一弾としてペナンに程近いケダ州のクリム・ハイテクパークに脚光が集まっている。MSC内でも、2000年9月にアジアの映画ハブを標榜しオープンした『E(エンタテインメント)ヴィレッジ』構想が立ち上がり、さらに 2001年5月にはバイオ研究拠点としての活用を検討している『バイオバレー』の設置が発表、高度な知識集約産業の集積を狙っている。

課題

MSCの成功の鍵を握るのは資金やハードではなく、ソフトやメンタルの部分であると言える。つまり、知識集約型労働者の育成と供給、そしてMSCを実験場としてマレー人優先政策緩和後のマレーシア社会のモデルケース構築が必要と考える。ただ、目前問題として、マレーシアでは優秀なIT専門技術者がシンガポールなど雇用条件の良い地域へ移る「ジョブ・ホッピング」が目立ち始めており、人材不足に拍車をかけている。

競争優位性

ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・E・ポーター教授は、ハリウッドのエンターテイメント、ウォール街の金融、カリフォルニアのワインなどのように、特定分野の競争における突出した成功が一つの場所に十分に集積された状態を「クラスター」と呼び、ロケーションの重要性を論文『Cluster and Competition』において示した。そして、現代の競争を左右するのは生産性であって、生産性は企業の競争の仕方によって決まるが、地理的条件が競争における重要な要素となり、集積地としての成功を左右すると語っている。つまり、特定の地理的条件において企業が競争の仕方を向上させようとしても、そこには地域ごとのビジネス環境の特質が大きく影響しており、例えば、高度な輸送インフラが整っていなければ、先進的なロジスティクス手法を採用するわけにはいかないし、また、きちんと教育を受けた従業員がいなければ、高度なサービスを武器に巧みに競争していくこともできない。煩雑な規制手続きの下では、あるいは紛争を公正かつ迅速に処理できない裁判制度の下では、ビジネスを効率よく進めることは不可能である。ビジネス環境の中でも、たとえば法人税率といった法律的な面は、あらゆる業界に影響を及ぼす。マイケル・E・ポーター教授はこのような要素がビジネスに決定的な影響をもたらし、競争を巡るミクロ経済的な基盤として最も重要な部分となっていると理論付けている。IT技術の発展により、一時期は地理的優位性というものの重要性が薄れるようなことが言われていた。しかし、実際にはディジタル情報技術や通信ネットワークが進歩、普及して世界へのアクセスやリーチが当然のものと考えられるなったにもかかわらず、優れた業績を示す企業は世界に散々せず、むしろ「クラスター」と呼ばれる集積地は増加している。MSCもその一つだが、他の「クラスター」と異質なのは高度なインフラとスキル、自由競争の環境、IT社会に対応した法整備、優遇措置を政府が中心となって強力に推し進めることにより、人工的に「クラスター」を形成し、地理的優位性を確立しようとしている。

また、インド人技術者の躍進、巨大な中華圏市場の台頭、情報化社会における英語の重要性等を考えると、多民族社会であること自体がマレーシアの競争優位性として働いている。マレーシアにおけるインド系国民は国民の約1割弱を占め、ソフトウェア中心のハイテク産業が飛躍的に伸びた場合、シンガポール同様にインドとの関係を深めることができる貴重な民族的資源である。そして、シンガポールに比べると、マレーシアには十倍ものインド系住民がいる。さらに3割は中国系国民であり、中華圏へのアクセスも容易としている。地理的にも、IT先進国であるシンガポールと国境を接している。
このように、言語・文化的障壁もなく、21世紀に大きく躍進するであろうインドと中国と自由に情報交換や意見のやり取りができる国は、世界広しといえどもマレーシアとシンガポール以外にない。また、マレーシアはこれまで電気・機械などハイテクの製造業で得たスキルと人材を有しており、これをIT産業と結び付けることができれば、国際市場の中で競争力を発揮することになると考える。

隣国シンガポール

中国の台頭など、国際経済の構造が大きく変化するなか、シンガポールはアジア有数の情報技術国家への脱皮に成功し、力強い成長力を引き続き堅持している。狭小な国土、少ない人口、乏しい天然資源といった経済的な制約要因を抱えたシンガポールは1970年代の工業化、1980年代から1990年代半ばにかけての産業高度化、1990年代後半の情報・技術集約型経済化と、ダイナミックな構造転換を成し遂げ、今日では先進国をも凌ぐ国際競争力を有しており、その背景には良質な人材資源の存在がある。同国では、学校教育や職業訓練に官民挙げて取り組み、労働者の基礎学力や職業能力の向上を図るとともに、多国籍企業や外国人専門・技術者を積極的に誘致し、産業基盤の要として活用した。その結果、アジア途上国のなかでいち早く労働集約型製造業を中心とした経済から、情報・技術集約型経済への構造転換に成功したと言える。

ハード面では、シンガポールは国家規模が小さいということもあるが、政府を中心に国家政策として取り組んだ結果、全土に光ファイバーが張り巡らされ、 ADSLやケーブル回線などといった高速で常時接続可能なアクセス環境が先進諸国に先駆けて整備されており、国全体がIT集積地といった様子を呈している。そのため、ITが国民生活や産業活動へ浸透しており、ITビジネス先端都市としての地位を固めている。また、東南アジアにおけるビジネスのハブとしての機能を有し、言語、文化を中国・インドと共有していることから、近年中国・インドとのビジネスも活発化している。さらにITを利用した生命科学が重要産業として台頭しつつあり、シンガポールはIT応用の段階を迎えている。

こうしたシンガポールの発展には、政府の役割が大きく影響を与えている。まず、1992年10月に、シンガポール政府は世界に先駆けて国家的なIT計画である『ITビジョン2000』打ち出した。これは2005年までにシンガポールが世界の情報スーパーハイウェイの中継基地となり、付加価値をつけることで生き残ることを目指したもので、これによって一人当たりのGNPはスイスを超えて世界一になるだろうと政府はコメントしている。その後の1996年に広帯域ネットワークを可能にする『シンガポール・ワン』の整備を進め、電子政府も実現させた。さらに民間の協力で人材を育成し、世界中から優秀な研究者や教育機関も誘致した。近年では、ASEANのIT普及を推進する『e-ASEAN』など周辺国との協力や支援にも力を入れ、隣国マレーシアと競争・協力することにより、さらなる躍進を目指している。

ここで特筆すべきは、ITに関してシンガポールもマレーシアもインフラ整備や教育、法整備などを政府が積極的に展開しており、自由でマルチメディア・フレンドリーな環境を構築していることにある。また、両国は空港や港湾などの設備で日本を抜いていることから、物流を伴うeビジネスにおいても世界から注目を浴びている。

 

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